企業経営

〜 消滅した会社から学ぶ 〜

Kiyomi Tabuki


まえがき

このページは、消滅した会社の消滅原因を研究し、経営において類似の失敗を避けるのに資することを目的に執筆したものである。

昔、NEREC という会社があった。 NEC の分身会社だった。 分身会社とは NEC 特有のコンセプトを伴った子会社のことである。 NEREC の日本語名は日本電気電波機器エンジニアリング株式会社、NEC RADIO EQUIPMENT COMPANYの略。この会社は今はもう無い。 NEREC あるいは日本電気電波機器エンジニアリングをネット検索すると、若干の残骸が過去の記憶を微かに留めているだけである。

私は、昔、この NEREC の技術者だった。 NEREC では社内恋愛もした。 まさに青春の1ページであり、消えて無くなったことは非常に悲しい。 しかし、同時に、今は翻訳会社美容&健康関連のショップなどの経営者である私としては、この NEREC の末路は、経営を考えるときに大きな示唆を与えてくれる。

私の経験を公開すれば、より良い経営を目指す後輩諸兄に有益だと考え、ここにとりまとめることとした。 ご愛読いただけたら幸いである。


優良企業だった NEREC

中学時代、電子回路という「からくり」や無線という「魔法」にとりつかれた私は、技術系の高校に進むことを志した。 そして、工業系の高等専門学校(高専)に進学した。 そして、卒業し、昭和58年(1983)、私はこの NEREC という会社に入社した。 もちろん技術者として活躍するためだ。

NEREC という会社は、NEC が 100% 出資して設立された子会社で、防衛関連機器を取り扱っていた。防衛関連機器は技術者にとってとても魅力的だ。私は、防衛そのものには全く興味が無かったのだが、技術者として防衛関連機器にはとても興味を持った。それが入社を決めた一番の要素だった。

NEREC の主軸は防衛関連機器の整備であるが、私が入社の面接を受けた当時の NEREC の役員は NEREC で設計まで本格的に行う計画だと言っていた。 技術者にとってチャンスが大きいと感じた。

ちなみに、私は NEREC に入社して早々、NEC の嘱託社員、出向社員として NEC に送り込まれ、NEC の社員と何も変わらない仕事をこなした。 海外へ出張し、国際的な技術移転や技術サポートを行うなど、重要な役も担当させてもらった。 その事実からNEC から NEREC への技術移転は行われたと言え、私が入社の面接を受けた当時の NEREC の役員が言っていたことは真実だったと思う。

他にも入社を決めるにあたって重要な要素があった。当時の社長であった奥山氏の人格評価が高かったというのがその要素である。処遇も NEC と同じだと言う。NEREC からは面接後すぐに入社して欲しいとラブ・コールがあった。他の企業に比べて動きが速かったのも印象的だった。そんなこんなで良い会社だと思ったので入社を決めた。


NEREC における異変

僕が入社した頃、NEREC は活気のある会社だった。 当時の社長であった奥山氏は、既に相当の社員がいたにも関わらず、社長室に全社員の写真を貼り全社員に心を配っていた。給料明細には毎回欠かさずメッセージが添えられていた。社員もやる気に燃えていた。先輩も一生懸命後輩に仕事を教えていた。素晴らしい会社だった。

だが、残念なことに、NEREC はある時期から次第に腐っていく。 その「ある時期」とは、奥山社長が退任した時期である。 その後、NEC から NEREC に社長が送り込まれてきたが、奥山社長のように熱意は感じられなかった。社長だけではない、NEC の余剰人員が NEREC に送り込まれるような格好になっていった。そのようにして NEREC に送り込まれる人の多くは年齢が高いため行動力は無く、NEC から左遷されたような格好なので熱意も無く、与えられた仕事をとりあえず処理すると言ったような感じだった。また、そのようにして NEC から管理職が NEREC に送り込まれるため、NEREC の生え抜きの昇進の機会がどんどん奪われていった。その結果、NEREC 生え抜きのやる気のある技術者がどんどん会社を辞めていったのである。

僕より一足早く NEC に送り込まれ、後輩である僕のことを本当に良くしてくれた、僕にとって恩師とも大親友とも言える先輩が NEREC/NEC を去り、僕より遥かに会社への忠誠心が高いと思われた優秀な技術者であり、同期の主任であった仲間が NEREC を去った。高い専門知識を持った優秀な後輩も去った。そういった仲間の中には僕と同じように独立した人もいるし、他の企業で実力を発揮している人もいる。 本当に NEREC は人材を適切に処遇できなかった故に、もったいないことをしたものだと思う。


■ 追い討ち

更に悪いことに、平成不況に差し掛かった頃、NEC は新入社員の入社を抑制し始めた。そして、そのポリシーを子会社の NEREC にも適用したのだ。しかし NEREC の取扱い製品は民製品ではなく防衛関連がほとんどを占めているので、世間が不況になったからと言って、それに連動して仕事が減る訳ではない。 仕事量の変化というのは極めて緩やかで遅い。

前述のように優秀な若手が退職する一方で新入社員は入ってこない。しかも、NEC から退職間近の社員が NEREC の役員や管理職のポジションに雪崩れこんでくる。 即ち、NEREC 社員の平均年齢が異常なペースで高くなった。NEREC の人件費は上昇する一方でパフォーマンスは下がって行った。 本来、一番活躍しなければならない生え抜きの中堅社員は冷遇され部下もほとんどいないような状況となった。当然、あちこちで問題が生じ、NEREC 社内や NEC との間で軋み音が大きくなっていった。

それにしても、NEC は何故もっと木目細かく NEREC に適した新入社員雇用ポリシーを取らなかったのか? 何故 NEREC の経営サイドは NEREC に適した新入社員雇用ポリシーが必要であることを NEC に理解させることが出来なかったのか? 理解に苦しむ。


無力感

私は NEC の嘱託社員、出向社員であったが、NEREC の中堅社員の一人であることには違いなかった。 いずれ NEREC に戻ることが前提である以上、NEREC の将来に無神経ではいられなかった。 だから、NEREC の上司に上記の問題を含む NEREC の問題点の指摘ならびに改善要求を行った。 しかし、NEREC の上司から返ってきた答えに愕然とした。「君の言うとおりだよ。でも、改善は難しい」 と、いうようなものだった。 正直と言えば正直な返答だったのかもしれない。 かつて、私が NEREC に 入社した頃の前向きさは一体どこへ行ってしまったのだろうか。。。

まあ、NEC は言わずと知れた大企業である。大企業病にかかって当然である。そして、私の人生をかけた実験により発見できたことは、 大企業病は子会社に伝染することがあるということである。伝染媒体は、もちろん、親会社から子会社へ左遷のようにして、退職までの腰掛のような形で送り込まれる面々である。

そして、それらのやる気の無い面々が醸し出す無力感の中では、NEREC の生え抜きのヤル気を引き出すことは困難で、経営効率をアップさせるような改善は形の上では提案制度等を通して行われるかも知れないが、魂のこもった真の改善は行われない。優秀な人材の流出は一層加速する一方、冒険に踏み出すことが出来ずに NEREC に残留する社員は一層腐っていく。

人事評価制度は崩壊状態にあり、加えて、仕事の出来ない社員にも給与を垂れ流しで払い続けていた。能力がある社員を正しく評価できる上司もいない。それでは、真面目に一生懸命働く社員は居なくなって当たり前だ。当時、私は NEREC では他を大きく引き離す語学力を誇っていたし、約5千人が働く NEC の府中事業場全体で見ても最高レベルの一握りの英語の達人が集う研修に参加するレベルにあった。しかし、 NEREC に於いて、私を評価する立場にある上司が、自分で言うのも何だが、その凄さを全く理解できず、逆に「出る杭は打たれる」ようなありさまだった。

何れにしても、私は NEREC に将来は無いと悟った訳だ。 そして、他の退職理由(※)も手伝い、私は NEREC および出向先の NEC を辞める決心をしたのだ。

※ 退職理由は他にも沢山あった。例えば、出向先の NEC の労務管理上の問題(3日3晩ぶっ続けで仕事をしなければならないような状況に追い込まれ過労死寸前の状態になった)等の後ろ向きのものもあれば、独立して自分の夢をかなえたいという前向きのものまで様々である。


とどめ

私が NEREC を退社してから間もなく、NEREC の看板を降ろすことになる事件が発生する。 それが、俗に言う「防衛庁水増請求事件」(防衛庁巨額背任事件とも言う)である。

この事件は、ここで話題としている NEREC をはじめ、NEC 本体やその他の NEC 子会社にまたがる西暦1998年、和暦平成10年の夏から秋にかけて次第に明らかになっていった「国民の血税を官民が結託して無駄使いする壮大なシステム」と「防衛庁職員の賄賂の受け取りによる背任行為」を中核とする様々な問題を内包する事件、つまり、切り口によって色々な事件性や問題が見えてくる複雑な事件である。

防衛庁水増請求事件と呼ばれるのは、NECグループが50億円に上る水増し請求を行い、国家に多大な損害を与えた(後に NEC は損害分を返還)からであるが、上記のように問題は単純ではない。

そして、この事件は、当時 NEC の天皇であった関本会長など幹部をそのイスから引きずり下ろすトリガーとなった。トリガーと言ったのは、私はこの事件が生じる前から関本体制の行き詰まりを予見しており、いつ大地震が発生しても不思議ではなかったところに本事件が発生し、関本体制が崩壊したからである。

さて、当事件で NEREC は水増請求分を国庫に返還し儲けが吹っ飛んだばかりではなく、多くの対策費が発生、更に、親会社の NEC が受注も取りづらくなり、それは、いくいくは NEREC の仕事を減少させることとなる。 社会的な信用も失った。 かなりの損失だ。 しかも、同事件の対象は NEREC だけではなく、NEC 本体や他の子会社や関連会社にもまたがる大規模なものだった。 NEC グループ全体で見たらもの凄い損失になるだろう。

結局、NEC は、泥が付いた NEREC やその他の事件に関連する子会社や関連会社の看板を下ろし、それらの会社を整理統合し、新しい看板であるNECネットワーク・センサ株式会社として再出発することとしたのである。

NEREC は新しく出来たNECネットワーク・センサの一部として引き継がれたと見ることもできるだろう。 しかし、NEREC の看板は NEC の恥部として永久に降ろされ封印されたことに異論を唱える人はいないだろう。

※ NECネットワーク・センサ(株)は、西暦2000年、和暦平成12年の7月1日に NEREC すなわち日本電気電波機器エンジニア リング(株)を吸収合併した形にはなっているが、これは形の上の話で、そもそも最初から NEREC ありきだったと考えるのが自然である。NECネットワーク・センサ(株)は、西暦1998年、和暦平成10年の夏から秋にかけて発覚していった一連の不祥事の対策(平たく言えば看板かけかえのための受け皿会社)として、翌年の西暦1999年、和暦平成11年に設立され、事件の主役の1社である当時 NEC の子会社だったニコー電子をNECネットワーク・センサ(株)が吸収する形で合併。更にその翌年の西暦2000年、和暦平成12年の7月1日に NEREC すなわち日本電気電波機器エンジニア リング(株)を吸収合併した。尚、事件の主役の1社であった東洋通信機についてはNECが株を手放しエプソンの子会社であるエプソントヨコムになった。


天下り問題

間接的にではあるが、NEREC の消滅に貢献した要素に「天下り問題」がある。 NEC や NEREC に限ったことでは無いが、民間企業が防衛関連の受注を有利に進める上での必需品とも言えるのが天下りの受け入れである。

労働対価ではないお金が天下してきた人に支払われる訳だが、その人件費は決して少なくない。それを工面するため、NEC や NEREC などの民間企業は水増請求をせざるを得ないとも言える。

天下による問題は単に人件費だけの問題にとどまらない。決して高いとは言えない賃金で連日連夜働いている民間企業の従業員の中に、仕事をしないばかりか、たまに登社したかと思うとくだらない質問で仕事の足を引っ張るような無能有害な天下りが入る訳である。

それは民間企業の従業員のやる気に少なからず悪い影響やストレスを与える。天下り先の文化を破壊し、モラルや公平さの概念を破壊する。天下りは公然の不正であり犯罪行為だと思う。

天下り年齢に近づいてきた防衛庁職員を父親に持つ人と親しかったため、私は、天下りする側の心境も良くわかる。天下り年齢に近づいてきた防衛庁職員は、どううまく天下りするかが最大のテーマであり、本来の任務そっちのけで自分の進路の開拓に勤しむ。その間も、その職員には公務員給与が国民の税金から支払われている訳で、これを大きな無駄と言わず何と言うか。

とにかく天下りは百害あって一利なしである。早期に防衛庁職員が天下りをしなくても良いシステムとし、天下りを全面的に禁止すべきである。


まとめ

消滅した会社 NEREC から学べることをまとめると、

(1) 社長の人徳と心配りが会社を左右する
(2) 子会社にご都合主義で親会社で不要となった人材を送ってはならない
(3) 新入社員の雇用を長期間停止してはならない
(4) 優秀な人材が辞めることのないよう処遇しなければならない
(5) 改善への取組を情熱を持って行わなければならない
(6) 不正に対してセンシティブでなければならない



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